希望の光 

テレビに映し出される圧倒的な力に、私は言葉を失いました。

 2011年3月11日に起こった地震津波。それから数日間、私は津波の映像を見るたびに津波にのまれた方々を想像し胸が詰まり、苦しくなりました。その後生存された方々の家族を失ったという言葉を何度も聞き、姿を見るたびに目頭が熱くなりました。「神も仏もいないのか!神はなぜあのような苦しみを人間に与えるのか。あまりにもひどすぎるぞ!そもそもあんな苦しみを与えるためにこの世界を作ったのか」私の中でふつふつと神に対する怒りが湧き起こりました。
 また、こうも考えました。
もし、日蓮が今生きていて被災したらどう考えたのか。
もし、勝海舟が今生きていて、政治家だったら何と言ったのか。
もし、マザーテレサが今生きていて被災地の病院にいたらどうしたのか。

 1945年(昭和20年)8月6日に投下された原子爆弾より十数万人がお亡くなりになりました。長崎でも原子爆弾により6万人から7万人がお亡くなりになりました。太平洋戦争後は他の多くの都市も焼け野原でした。私は現在43歳で広島市に住んでいて訪問介護の仕事をしています。仕事の関係上、被爆された方から、当時の様子を伺う事が何度もありました。我々のおじいちゃん、おばあちゃん、おとうさん、お母さんは苦労されたことでしょう。懸命働き、ボロボロの日本を復興されました。今では、かつて敵国として戦った米国をはじめ多くの国々から、震災に対しての暖かい支援の手が差し伸べられています。本当にありがたいことです。

 私は被災された方々に同情すると同時に敬意を持っています。
 私に見えているのは、
互いにいたわり、慰め、励ましあい、助け合う方々です。
苦難に立ち向かわれている勇気ある方々です。
人間の善なる部分を表現されている方々です。
忍耐強い方々です。
過去の偉人達がなした偉業を超える偉業をなされている方々です。
もちろん、被災者を助けようと懸命に努力されている方々も同様です。
私は被災された方々やその援助者の中に神や仏を見ました。
私は神を憎むのを止めました。神を憎むということは、被災された方々を「無力で弱い存在だ」というのと同じ事になるからです。
 我々の先輩方が戦後のボロボロの日本を復興されたように、被災地の方々も被災地を復興される事を信じています。
 

絶望の闇。
今の私にはそれは見えません。

希望の光。
今の私にはそれが見えます。

 関東東北大震災でお亡くなりになった方々の魂は、真っすぐ喜びと安らぎに満ちた場所にいらっしゃったことでしょう。

 南無妙法蓮華経成。