シリアに春を(昨日の記事を少し修正しました)

 2012年 2月16日(木)のNHKクローズアップ現代 止まらない弾圧 〜緊迫シリア・広がる危機〜』で放送されていたシリア軍の元兵士の証言は以下のとおりです。
「上官から動くものはなんでも撃てと命令されていました。
ある日、上官が女性だけのデモ隊に向かって発砲し13人を殺害しました。
耐え切れなくなった私は、上官をその場で射殺し仲間と共に軍を離れました。」
 
 ほかにも、アメリカ軍主導のイラク戦争では、米軍兵士が敵兵の生首をボールの代わりにして、サッカーをしていたという元米軍兵士の証言をテレビで聞きました。
 
 また、旧日本軍が中国の村々で武器を持たない村人を殺戮していたという、元日本兵の証言をテレビで聞きました。

 戦場では気持ちもすさみ、平穏な日常生活とかけ離れた精神状態になるのでしょう。人間の適応力には驚かされます。そこで僕がいつも思うのは「僕だったらどうするのか?」ということです。生首で一緒にサッカーをするのか?武器を持たない一般市民に向って発砲するのか?おそらく、旧日本兵が立たされたような状況では、僕も一般市民に向って発砲すると思います。

 『コーラン』 協議の章40−42 (藤本勝次 責任編集 中央公論社)には以下のようにあります。

 「悪行の報いは、悪行と同じように最悪のもの。よく赦し、よく和解する者には、神からの報酬が与えられる。神は不義者を愛したもうようなことはない。
 圧迫された者が自分を守るためにしたことを責めるすべはない。
 しかし、地上で不正をはたらき、不当な圧迫を加えた者には、責めるべき方法がある。彼らには懲罰が用意されている。」

『 CNN.co.jp シリア死者7500人超と国連 チュニジアが大統領受け入れ表明』(2012.02.29)には次のように書かれています。
 米国のクリントン国務長官は同日(2012.02.28)の上院歳出委員会で、アサド大統領を戦争犯罪人とみなすべきかとの質問に、「そういう議論もあり得る」と答えた。ただ一方で「罪に問うことで退陣の道を狭め、事態の解決を困難にしてしまう恐れもある」との見解も示した。

 民主化運動「アラブの春」の発端となったチュニジアで昨年末に就任したマルズーキ大統領も、同様の立場だ。同国で先週開かれた有志国による「シリアの友人」会合では、アサド大統領や側近らを追い詰めれば流血がさらに拡大すると警告した。さらにこのほど報道官を通した声明で、「アサド大統領がチュニジアなどの他国へ出ることが危機解決の助けになるなら、わが国は喜んで支援する」と申し出た。

 一方、ジュネーブで開催された国連人権理事会の緊急討議で、シリア議会の代表者は「武装したテロ集団による暴力」を改めて主張。「経済制裁こそが最悪の人権侵害だ」と反論し、途中退席した。太字部分は http://www.cnn.co.jp/world/30005760.html より引用
現在のシリア情勢では、そのほかにも地政学的な問題が複雑に絡み合っており、事態の収拾を困難なものにしています。

 「不当な圧迫」をしているのは誰なのか?この判断はとても難しいです。日露戦争は日本側から見れば「防衛」の割合が強いと思います。太平洋戦争と日中戦争は日本側から見れば欧米列強からの「防衛」の側面もあったと思いますが、侵略の割合が強いと思います。

 今のシリアではアサド大統領側や側近の正当な部分もありますが、不当な部分が強いようです。そこには、アサド大統領や側近の「恐れ」があるからだと思います。恐れがあるから、料理で包丁を使っていても、手を切らずに料理をしようと思います。恐れは自分の身を守るために必要です。ですが、人の増幅した恐れは、視野を狭め、理性をうしなわせ、過剰防衛へと走らせます。このケースでは、シリアの反体制派や周りの国々はマルズーキ大統領がおっしゃるように、アサド大統領側や側近の身の安全を、まず第一に保障することが、事態打開の糸口になると思います。アサド大統領や側近の強い恐れの気持ちを鎮めることが重要です。紛争のただ中では、最高指揮官から末端の兵士に至るまで、究極の選択を迫らせますが「人と人との殺し合いはさせたくない、したくない」ということは、単純に誰もが思うところです。

 「よく赦し、よく和解する者には、神からの報酬が与えられる。」とありますが、そのとおりだと思います。