天皇陛下万歳 《下》

 長嶋茂雄はまだ国民栄誉賞をもらってなかったんですね。国民栄誉賞が贈られることが決まったのをニュースで知ってそう思いました。

 長嶋さんは日本のプロ野球の発展に大きく貢献した方です。もし長嶋さんがプロ野球選手ではなく税理士になっていたらどうなっていたでしょうか?国民栄誉賞をもらうぐらいですから、税理士になっていたら、税理士の定義を変えるような税理士になられていたかもしれません。なんにせよ、長嶋さんはプロ野球選手になることを選択し多くの人を楽しませました。

 長嶋さんにとってプロ野球選手は天職だったのかもしれません。しかし、他の職業に就くことも可能だったのです。

三省堂大辞林』によると「自由」とは以下のように書かれています。http://www.weblio.jp/content/%E8%87%AA%E7%94%B1

【自由】

(1)〔freedom; liberty〕他からの強制・拘束・支配などを受けないで、自らの意志や本性に従っている・こと(さま)。自らを統御する自律性、内なる必然から行為する自発性などがその内容で、これに関して当の主体の能力・権利・責任などが問題となる。
(ア)哲学的な意味では、自らを自律的に統御し、内なる必然から自発的に行為すること。外的自然からの自由、内的自然(理性や意志以外の要因)からの自由、他人による強制からの自由に分かれる。意志の自由とほぼ同義。
(イ)社会学的な意味では、社会集団が個人の自律的な判断・決定能力を発展させる構造的条件を備えていること。基本的人権のほか価値・規範体系の整備なども含む。
「―な社会の実現」
(ウ)政治的・歴史的には、時代によって異なる内容をもつ。古代ギリシャでは奴隷などと区別されたポリス市民固有の属性、すなわちすぐれたものへの洞察力を意味したが、中世ヨーロッパでは身分的特権の別名であった。近代のリベラルな自由概念は一七世紀の宗教戦争以来成立し、市民革命を経て強化・確立され、宗教的自由から思想・信条の自由が、さらにそこから言論・出版の自由が要請された。この過程で、権力と対立しこれを制約する自由という視点も出てくる。マルクス主義的には、社会全体が解放され、人格の自律が真に達成されることが重要視される。

皇室典範」には以下のようにあります。

皇室典範 第3条
 皇嗣に、精神若しくは身体の不治の重患があり、又は重大な事故があるときは、皇室会議の議により、前条に定める順序に従つて、皇位継承の順序を変えることができる。

皇嗣天皇・天子のよつぎ。皇位継承の第一順位にある者。皇太子。http://kotobank.jp/word/%E7%9A%87%E5%97%A3

皇室典範 第3章 摂政 第16条
天皇が、精神若しくは身体の重患又は重大な事故により、国事に関する行為をみずからすることができないときは、皇室会議の議により、摂政を置く。


 皇室典範にあるように天皇になった方は崩御するまで天皇でいなければなりません。天皇になられる方には職業選択の自由がありません。崩御するまで天皇のままです。プロ野球選手になることも、商社マンになることも、お笑い芸人になることも、漁師になることもできません。選挙権もありません。信仰の自由もありません。

 敬宮 愛子内親王も幼いころからマスコミ報道で「愛子さま」と「さま」でよばれるプレッシャーは小さくありません。「『さま』で呼ばれるような人になりなさい」と言っているようなものです。

 昨年愛子さんの熱が出たとのことで毎日新聞に記事がありました。熱が出たぐらいで新聞の記事になり騒がれるというのは、う〜ん、どうでしょう。

 また、天皇皇后両陛下は平成25年4月16日に長野県にいかれましたが、それが初の私的なご旅行だったそうです。

 ほかにも、天皇陛下がご公務の帰りにコンビニでエッチな雑誌を買って帰りたいとお思いになられても、買いにくいと思います。

 例を挙げるときりがありませんが、皇族方、特に天皇になる人には他の日本人に比べて自由がありません。つまり基本的人権がありません。天皇になる人、なった人から基本的人権を奪っているのは日本国民です。現在、衆議院選挙の一票の格差が問題になっていますが、天皇世襲制も同じように問題だと思います。
 右翼の方々からは嘲笑されるかもしれませんが、僕は天皇世襲で決めるのではなく、選挙で決めたらよいと思います。日本の伝統や文化で今後も残っていってほしいものはたくさんありますが、悪しき伝統は改善していったほうが良いと思います。天皇世襲制は今では悪しき伝統です。天皇世襲制の存続を望む人が愛しているのは、「天皇陛下と皇族方」ではなく「伝統」ではないでしょうか?

 「天皇を選挙で決めるんだったらそれは、『天皇』ではなく『大統領』では」という人もいるかもしれませんが、天皇の大事な仕事の一つに「宮中祭祀」があります。神道の伝統の中での、「祈念者」として祈りを捧げることも大事です。それが大統領と大きく異なる点です。それでも、「選挙で決めるのだったら『天皇』ではない」とおっしゃるのでしたら、天皇という呼び方を変えたらいいと思います。個人の基本的人権を奪ってまで「天皇」の名前に固執する必要はありません。「日本の何千年も続いてきた伝統が失われる」とおっしゃる方がいるかもしれませんが、天皇選挙制が4千年続けばそちらが伝統になります。もし天皇の子孫が選挙で天皇に選ばれれば、結果として世襲は続きます。それなら、個人の基本的人権を奪うことなく伝統は継続されます。それとも天皇陛下は日本人ではないのでしょうか?


 いわゆるひとつの質問として天皇陛下にお聞きしたい。「幼いころ憧れた職業はありませんでしたか?」と。