父へ

 先週の木曜日の未明に、僕の実父が亡くなりました。75年の人生でした。父は瀬戸内海に浮かぶ人口2千数百人ほどの小さな島で、少年時代から75歳まで暮らしました。

 僕の少年時代、父はよく僕と遊んでくれました。一緒にカブトムシを取りに行ったり、大工の父が作ってくれた畳一畳ほどの船に乗って遊んだり、僕を引き連れて映写機を担いで、村の公民館を回って映写会を行ったりしました。その時の父の表情は屈託がなく、純真な少年のような笑顔でした。生きる喜び、人間の本質は善であること、生命の輝きを父に見ました。父を敬愛していました。父の息子として生まれてきてよかったです。父は酒好きだったので、今頃先に逝ったおばあちゃんやおじいちゃんと酒を酌み交わしているでしょう。

 葬儀の準備では冗談を言いながら周りを和ませ、てきぱきと動き、的確に指示を周りの人に与える叔母。

 通夜が終わった後、父の遺体の前で、小学生の時夏休みの宿題で、木の廃材で船の模型を作っていたら、大工の父に「手伝ってやるから」とタバコを買いに行かされ、帰ってみると、とても小学生が作ったようには見えない、立派な船の模型ができていて、困ったという話を聞かせてくれる、面白くチャラいが、いつも冷静で、定年になりゲートボール三昧で、褐色に日焼けしている叔父。
 
 宴席で「テロリストが原子力発電所を狙わないのは、テロリストにも良心があるからだ」と僕に教えてくれる、白髪が目立ち始めた海上自衛隊員の友人。

 宴席で、もし福島第一原発の周りに住んでいたら、事故後、移住するかそのまま住み続けるかを議論する親戚。

 いつもニコニコしていて、会うたびに少しずつ目が垂れていくような気がする叔父。

 1880年に出版されたフョードル・ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』は傑作です。登場人物の人物描写、ストーリー展開、宗教観、どれをとってもすばらしい。ロシアの大地に暮らす人々が生き生きと描かれています。ドストエフスキーさんは続編を書く予定だったようですが、未完に終わっています。『カラマーゾフの兄弟』執筆後、天に召されたからです。残念です。続きが読みたかったです。

  個人と個人、個人と集団。集団と集団。さまざまに絡み合う関係性の中に「人間」がいます。そこには喜びがあります。悲しみがあります。苦しみがあります。善があります。愛があります。命の輝きがあります。本当に人間はすばらしい。1880年頃のロシアの大地であろうと、2011年の日本の瀬戸内海に浮かぶ小さな島であろうと、それは違わないはずです。ドストエフスキーさん、友人、親戚、母、姉、父、その他大勢の人達が人間のすばらしさを僕に教えてくれました。

 父の葬儀に参列してくださったみなさん。本当にありがとうございました。
 
 父は天理教の信者で、よく僕に「陽気ぐらしを人間がして、それを神さんが見たいために、神さんが人間を創った」と語っていました。「陽気ぐらし」を「人生を楽しむ生き方」と言い換えてもいいと思います。

 ジョット機や車に設計者がいるように生物にも設計者がいると考えられます。蜂や鳩それに人間のような精巧なものが、偶然できたとは考えられません。その設計者の目的が何か?と考えた時に、父が語っていた事も、設計者である神の目的の一つだと思います。

 「四苦八苦」というほど苦しいことの多いのが人生です。ですが、それを乗り越える方法もあります。預言者ムハンマドガンジー孔子親鸞中山みき萩本欽一ネルソン・マンデラ道元、イエス、その他多くの人生の案内人が苦を乗り越える方法を教えてくれています。悲観するでなく、楽観するでなく、達観する方法を教えてくれます。苦労を楽しめます。四苦八苦を受け入れた上で違う方に目を向けるのです。それだけで苦痛は減ります。

 例えば、子育てをしていると、僕の4歳の娘がいうことを聞かないので、イライラしたり腹が立つことがあります。ですが、子供はわがままで、自分勝手で、いうことを聞かない存在だと思って接していれば、イライラも減ります。期待を減らせます。子供の純真さの方に目が向きます。というのは簡単なんですが、それを忘れてついイライラしてしまうんですよね。

 多くの人々の要望に答えて、おそらくドストエフスキーさんは『カラマーゾフの兄弟』の続編をあの世で書かれているでしょう。やがて僕も死を迎える時がくるでしょう。その時は『カラマーゾフの兄弟』の続編をあの世で読み、父と一緒に酒を飲みたいです。

 なんだか、死ぬのもちょっと楽しみになってきました。最後の最後まで今を精一杯生き、残りの人生を楽しみ、神の目的を果たし、最後には穏やかに死を受け入れたいです。生きるもよし、死ぬもよしです。

 父さんありがとう。