続責任の取り方

 前回の記事の題名を「責任の取り方」にしていました。ですが、その内容を書いていなかったので書きます。

 1864年久坂玄瑞長州藩復権のために、上京し戦いましたが、禁門の変により自害しました。

集団的自衛権行使容認を含む安全保障関連法案を成立させようとしている方々も、当然、久坂玄瑞のような覚悟をもって臨まれていると存じます。久坂玄瑞が生きた封建時代なら自害が一つの責任の取り方かもしれません。当時はそれが潔かったのでしょう。しかし、この法案が成立し、そのことにより多くの日本人が亡くなり、苦境に陥った時、この法案成立に賛成した方々が自害することが責任を取ることになるのでしょうか?

 現在の日本は民主主義の時代です。この法案成立を半数以上の日本人が反対し、それを尊重し、この法案が不成立になったことで多くの日本人が亡くなり、苦境に陥った時、辛苦を日本人が経験するということが、民主主義国における、重要な政策や法案に対する責任の取り方だと思います。