「思い」は残る

 超ひも理論とは物質の究極の要素は「粒子」ではなく「ひも」であるというものです。
超ひもの大きさは10-35[m]といわれ、原子の大きさの10-10[ m]と比べてもとてつもなく小さいものです。現在、素粒子は数百種類ありますが、これらは1本のひもで説明できるといわれます。
ひもが振動するとき振動数の異なる波が生じますがこの1つ1つが素粒子に対応するというものです。
このようなひもが真空中に詰まっているというわけです
http://laboratory.sub.jp/phy/76.htmlより引用)

量子力学が語る世界像』(和田純夫著、講談社)では「多世界解釈」について解説しています。これは量子力学をミクロの世界の理論として限定せず、日常の世界、ひいては全宇宙にまで広げて考えたとき、量子力学はどのように解釈されるべきかという観点からみちびきだされた考え方である。(中略)この考え方によれば、世界はひとつではない。電子がある場所にある世界、その「同じ」電子が別のある場所にある世界、さらに、それともちがう場所にある世界等々、無数の世界が共存している。そして少なくとも原理的には、あなたが今、この本をよんでいる世界、眠くなって本を落としてしまった世界などが共存している。そして共存している世界の中には、互いに影響しあうものも、しないものもある (太字部分は引用)

 麻雀をしていると、ついている時はどんどんあがれるが、ついていない時はぜんぜんあがれないということが多々あります。あがりが続くと気分がよくなるが、あがれないと気分が悪くなります。これはその時の思考や感情が現実を創造するのに影響を与えていると考えています。麻雀に限らず「泣きっ面に蜂」や「笑うかどには福来る」ということわざがるように、その時の思いや感情が未来の現実を創造するのに大きく影響しています。多世界解釈を前提とすると、思考や感情が無数にある現実の一つを引き寄せるのか、あるいは一つの現実のほうへ、思考する者を向わせるのだと思います。いずれにしても思考や感情エネルギーが、超ひもの振動に影響を与えていると考えています。

 りんごが箱に1個入っていました、この箱から一個のりんごを取り出しました。箱にりんごは無くなりました。
これを数式で表すと 
1−1=0 
になります。簡略化できます。しかしこれは正確ではありません。正確には
1−1+A=0+A
になります。

1=りんご
A=りんごを認識し、取ろうとする思い
−=りんごをとるという行為
0=空になった箱

ということになります。
この式を解くと
A=Aになります。
Aが残ります。
両辺にーAを加えて0にしようと思っても、
0にしようとする思い=Bが新たに両辺に付け加えられます。
A−A+B=A−A+B
というふうに人がこの数式に関わる限り無限に続きます。

 というふうに、どんな数式にも人間の思考エネルギーの残渣が付着しています。つまり数式で純粋0は表せません。人間が0と想像したり、口に出した瞬間にもう純粋0ではありません。0を想像した瞬間に想像エネルギーが0に付着し0ではなくなります。関数のグラフにあらわされている−1と+1の中間にある0も純粋0ではありません。観察者がグラフを書くという行為やグラフを見るということが、その0には含まれています。どんな数式にも、どのようにしても、なんらかの「思い」が残ります。もっとも、数式自体も思いの固まりです。

  微小な視点で見れば「思い」が超ひもの振動を変えるといえますし、「多世界解釈」を前提として宇宙的視点で見れば、新たな「思い」が加わった時空へ思考者が移動したともいえます。

 東京スカイツリーも誰かの「思い」が初めにあって作られていることを考えると、「思い」自体は小さなエネルギーかもしれないが、それがやがて言葉となり、行動となり多くの人が参加したプロジェクトになる場合もあり、大きなエネルギーへと変化します。例えば、親指ほどのドミノでも倒れる方向のドミノを少しずつ大きくして、東京スカイツリーより大きいものにすれば親指ほどのドミノからスカイツリーを倒すこともできます。小さな小さな変化が大きな変化へと変わるのです。人の思考や感情エネルギーが、超ひもの振動に影響を与えていると考えると(超ひもの振動も思考や感情エネルギーに影響を与えていて、互いに影響しあうと予測されます)、 微小な世界や他の次元を観測する際は、人間の思考や感情も計算式に入れることが、重要になると考えられます。

 『麻雀放浪記』の出目徳は「思い通り」に自分の出したいサイコロの目を出せます。人間の「思い」は人間の意識が違う時空へ移動するための、ドアを開けるための鍵だと考えられます。しかし、どのように計算式に「思い」を入れ込むのか。複雑なものになるのか、シンプルなものになるのか。今は分かりませんが、どちらにしろ、答えは無限にありそうなので、答えを出すのには量子コンピューターが必要な気がします。

夏休みに入った学生のみなさんには、がんばって謎に挑み、将来究極理論を完成していただきたいです。

 色々書きましたが結局何がいいたいのかというと、どの時空へも瞬時に移動できる乗り物と、4次元ポケットつきのネコ型ロボットが、僕が生きているうちにできないかなあ〜ということです。